カンタベリーから

文学研究でイギリスに大学院留学をしている20代男性の日記です。ポストコロニアル文学・理論、ナショナリズム理論、グローバル化時代のネーション、コスモポリタニズム、現代日本文学、などに関心があります。ですがブログは学問内容とあまり関係ありません。猫好き。料理をよくします。

夏の音

日本では最高気温が体温を越えるほどになってきてるらしい。カンタベリーも夏なのでまあまあ暑いけど、熱射病が出るほどではなくて、街にはおしゃれなのか何なのかわからないがジャケットやコート着てる人もいる。東京ほど暑くないのは良いんだけど、夏なのにほとんど無音なのが奇妙で落ち着かない。夏の暑さはセミやひぐらしの音とセットであって然るべき、と脳が覚えているんだろう。Youtubeで探したら夏の音がたくさんあった。研究中は音楽よりもこういうの流すと落ち着く。  

 


【作業用BGM】水車とヒグラシ3hours/Waterwheel,Higurashi - YouTube

 


【癒し系】自然音 せせらぎ ソフト水流音3時間 - YouTube

 


【癒し系】自然音 風~風鈴3 南部鉄器(大) 3時間 - YouTube

 


【作業用BGM・勉強用BGM】滝と小鳥のさえずり3時間版 - YouTube

まだまだ日が長くて、21時くらいまで明るい。西日が大嫌いな僕にはつらい。冬よりは良いけど。

スベスベマンジュウガニの糞

映画『2001年宇宙の旅』のラストシーン。巨大な胎児が地球を守っているあの有名なシーンは、初めて観たときには難解すぎて何のことかわからなかったが、今では、その意味がはっきりわかる。

あれはすなわち、大宇宙から眺めてみれば、お前の悩みなどハナクソ以下だ、ということを言っているのである。知らんけど。

ビバ!大宇宙。 

(宮田珠己『なみのひとなみのいとなみ』)

 2週間前にふたつの締め切りを終えてから、ぷつっと糸が切れてしまったように集中力が無くなってしまい、なんとか毎日机に向かったり向かわなかったりしているが、論文はちっとも進まない。燃え尽き症候群とかそういうやつかと思うが、これからフィナーレにむけて盛大に燃えてくれなくては困るのであって、でも考えるエネルギーは自在に湧き出るわけではない。今日したことを振り返ってみると、昨夜は遅かったので10時ごろまで寝て、いつも朝食に茹でる素麺さえ茹でるのが面倒だったので、歩いて1分のカフェでまずいサンドイッチとうまいマフィンを食べて、読みかけの論文をPC上で読みきり、つまらない論文だったと結論し、次はどうしようかと考えてたが、「黒子のバスケ」事件の犯人の意見陳述が公開されていたので、かなり長いがじっくり全部読んでしまった。この人は天才ではないだろうか。これほど明瞭に概念的な思考ができる人はなかなかいない。

「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

今日は盛大に晴れで暑かったが、暑さとセミの声がセットの環境で育ったので、ただ気温が高くて暑いというのは奇妙な感じだ。誰かがつまみのようなものを回して気温を好きに変えていて、世界はハリボテではないだろうかという気さえする。うさぎがぴょこぴょこ跳ねているが、ある程度近づくと一律にみんな逃げるので、あれも行動がプログラミングされていてモーターか何かで動く造りものではないだろうか。夏至からもう1ヶ月経つものの、まだ21時頃までは十分明るい。夜はスイッチを切り替えたのか嵐になって、雷がビカビカしていた。

暑さが鬱陶しくてどうしても論文できないのでビール飲んでしまおうってことになり、飲みながらジジェクの講演をYoutubeで見ていた。内容はあちこちで繰り返してるのでだいたいわかるが、よれよれのTシャツ着て巻き舌の英語を前のめり気味にしゃべるの見るとなんか落ち着く。ついでにジジェクの短い書評を一本読んだがあんまし参考にならなかった。


Slavoj Zizek - A New Kind of Communism - YouTube

 

やる気が出ないときは宮田珠己さんのエッセイをよく読む。ただ旅行したくて会社を辞めて、エッセイストとして不安定な生計を立てる人である。脱力系の旅エッセイをはじめ、田舎にある巨大仏とか、ベトナムの変な盆栽とか、むかしの西洋人が描いた変な日本の絵などについての本を出している。下北沢の本屋でのトークに行ったことがあるが、イラストをスクリーンに映そうとしたけどMacの使い方がよくわからなくてうやむやになっていて、気が抜けていてたいへん素晴らしいと思った。

なみのひとなみのいとなみ

なみのひとなみのいとなみ

 

 

晴れた日は巨大仏を見に

晴れた日は巨大仏を見に

 

 

ふしぎ盆栽ホンノンボ (講談社文庫)

ふしぎ盆栽ホンノンボ (講談社文庫)

 

 

おかしなジパング図版帖 -モンタヌスが描いた驚異の王国-

おかしなジパング図版帖 -モンタヌスが描いた驚異の王国-

 

最近はもっと脱力してきて、何がテーマなんだかわからない単なる日記とか、四国の八十八カ所を半端にめぐる旅とか、海岸でいい感じの石ころ探す話とか、これ以上脱力できない境地に達している。

スットコランド日記

スットコランド日記

 

 

だいたい四国八十八ヶ所

だいたい四国八十八ヶ所

 

 

いい感じの石ころを拾いに

いい感じの石ころを拾いに

 

 宮田さんが会社を辞めたのは僕より少し年上のときだった。このくらい大人になったらある程度立派になるもんだと思っていたが、大人になっても煩悩が増えただけである。宮田さんの書いてるものを読むと、境遇は違っても煩悩抱えてる人が他にいる、というくらいのことは感ぜられる。

私の場合、ある旅で人生が変わったというより、旅に出て風に吹かれた結果、旅に出る前にあれこれ思い悩んでいたことが、三十億年にわたる地球生物大進化のなかでは、まったくどうだってよい、スベスベマンジュウガニの糞の如きに思われて、心が軽やかになったりすることはままあって、おかげで、人生がどんどん行き当たりばったり無計画無秩序になってきているきがするのは、大変心配である。

(宮田珠己『なみのひとなみのいとなみ』) 

 スベスベマンジュウガニってどんなやつかと思って検索したらこんなのだった。たしかにすべすべでまんじゅうのよう。

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上野の思い出 ①

むかし上野の映画館でバイトしていた。そのへんの出身でもなく大学が近いわけでもなかったが、映画館でバイトしたいと思い、ネットで申し込むときに新宿と池袋に加えて上野も候補地にあって、まあいいかとそのまま申し込んだら上野の館に配属されることになった。5階建てのビルの3フロアを使った、スクリーンが2つしかない小さい映画館で、社員3人とたくさんのバイトで営業していた。映画館はやりたい人がたくさんいるという理由で時給が安かったが、上映中は受付に座りながら本読んだり好きなことができたので結局2年くらい続けていた。バイトの他の人々はみんな個性的で、ものすごく人見知りするシナリオライターの卵とか、3人組の若手お笑い芸人のうちの2人とか、専門学校出て会社入ったけどすぐに辞めて世界一周しようとバイトで貯金してる人とか、JASRACに就職予定だけど著作権信じてない人とか、バイト中にも図面書いてる建築士見習いとか、いろいろだった。支配人はふだんとてもいい人だけど、ときどき公然とセクハラ発言したり、クレーマーの客に謝りながらも突如ブチ切れたりする人だった。宝塚マニアの社員さんはすごく明るかったがよく給料の不満を口にしていた。ビリーズブートキャンプでダイエットを始めた副支配人は3日坊主だった。

 

西武線沿線で育った僕の感覚では、基本的に映画というのは新宿や池袋など都会に観に行くものであり、けっこう特別なイベントだった。ところが気がついたら自転車で行けるような近所に巨大なシネコンが次々にオープンして、都心の映画館はだんだん無くなっていった。上野もずっとむかしは駅前にも映画館があったし、かつては動物園とか博物館と並んでお出かけの目的地であったはずだが、今はもう映画を観に上野行こうと発想する人なんてほとんどいないのではないか。

 

僕の映画館も基本的に閑散としていた。平日なんかは営業中に時間つぶしするサラリーマンとか、つるんでみたものの行くところが無い中高生とか、映画館の地下にあるフィリピンパブのお客で、フィリピン人女性(たいてい2人)を同伴している人(たいていチケット買うときにものすごく焦っている)とか、映画自体が目的というわけではない消極的な客が多かった。消極的な客はだいたい観たい映画のタイトルが正確に言えないのですぐわかる。

 

その映画館も3年前に無くなってしまった。去年上野に行く用事があって前を通りかかったら更地になっていた。スタームービーという単館の映画館が他にあって、僕の映画館とちょっと交流もあったみたいだけど、そこももう無い。これで上野に映画館は全く無くなってしまった、と思ったんだけど、普通じゃない映画館ならそういえばまだあって、「オークラ劇場」と「世界特選劇場」である。前者はロマンポルノ専門、後者はゲイ映画専門だ。オークラ劇場はロマンポルノのポスターが公道に面して貼ってあって、前を通る度にギョっとしていたが、まだ公然とあれを貼っているのだろうか。

 

手元に無いので記憶頼りだけど、中沢新一は『アースダイバー』の中で上野公園の脇にある不忍池の異様な生命力に触れている。美術館や博物館などハイブロウな文化施設がある武蔵野台地末端の地域から外れた標高が一段低い不忍池周辺にはプリミティヴな欲望が渦巻いている、というような主旨で、不忍池に密生する蓮に強烈なエロスを感じる、とかいうことを言っていた気がする。たしかに蓮は密生しすぎである。

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オークラ劇場と世界傑作劇場はこの蓮の群れのすぐ脇にある。普通の映画館が消えてもこの2つだけこの場所に残っているのには何か必然性があるに違いない。

 

上野の思い出について書こうと思ったのにロマンポルノ映画館の話に行き着いてしまった。思い出は書こうとするとまとまらないな。断片的な思い出がもっとたくさんある。今度また書こう。

 

お笑い芸人の先輩たちの動画があった。3人組のやつは解散して今は2人でやっているらしい。


ロビンソンズ 『合コン』 - YouTube

カンタベリーの好きなカフェ

オーストラリアでスタバが地元のコーヒー文化に勝てずに撤退したというニュースを聞いた。オーストラリアのコーヒー文化がどんなのか知らないけど、カフェはとにかくたくさんあるらしい。アメリカに行ったら郊外にスタバのドライブスルーがあってびっくりした覚えがある。カフェはイギリスも山ほどあり、ロンドンをちょっと歩いただけでその多さを実感する。日本で言うと繁華街のコンビニくらいの確率で店がカフェである。イギリスで最も多いのはCOSTAというチェーンで、日本で言うとたぶんドトールにあたる。本屋の一角とか駅の出入り口とか小さいスペースでも構わず営業している。なんとなく見た目も相応に安っぽい。 

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カンタベリーにも数えきれないくらいあるんだけど、一度行ったときに目の前で商品入荷の作業をどすどすやられてあんまりいい気分じゃなかったので敬遠してしまっている。その次に多いのがスタバで、カンタベリーには2軒ある。日本ではきっとブランド作りとか差異化とかの戦略で店員がやたらさわやかだったりトイレがきれいだったりするが、イギリスのは感覚的にはもうちょっと庶民的で普通である。テーブルなどもとりあえず並べましたけど何か?って感じで並んでいる。 

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あと大きな違いは返却するところが存在しないという点で、これは当初は大いに当惑した。そのまま置いてっちゃっていいんすかどうなんすか、ときょろきょろしたらみんなそのままにして帰っていた。最近読んだ記事によると、テーブルに置き去りにされたカップなどを片付けるのも店員の仕事のひとつであるのだから、それを客がやってしまうのは彼らの仕事を奪うことになり望ましくない、とのことだった。しかしなかなか店員が片付けに来ずカップが散乱したり食べかけのものがそのままになったりしててあまりきれいではないのは何のこっちゃ。ちなみにファストフードでは日本と同様に自分で捨てるのが決まりであって、一度マックでコーヒーをテーブルに置き去りにしたら店員に舌打ちされた。

その次に多いのはNEROである。たぶん日本だとエクセルシオールかな。ここは行ったことない。なんとなくロゴが好きではなく、イタリアンなこだわりとか見せられても別に、という意識が働いている。

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カフェのこと書いている割に僕はコーヒーにこだわりがない。毎日飲むと決めてはいないし、むしろカフェイン取りすぎると身体が落ち着かなくなったり夜眠れなくなったりする。ノンカフェインのほうじ茶があればむしろそちらを注文したい。スタバのナントカカントカふらぺっちーのなんてのも飲まない。あれはほとんど食べものではないだろうか。

おいしいコーヒーを飲めばおいしいと感じるんだけど、それは本当によっぽどおいしい場合である。日本のチェーン店では味の違いなぞ判別できない。神楽坂のキイトス茶房のコーヒーは何か他とは違う気がして、お店の雰囲気と合わせてコーヒーというより珈琲と呼びたくなる感じで、おすすめです。

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お客さんもいろんな面白い人が来るようで、溝口健二を研究するイギリス人大学院生とか、震災直後の日本の自発的助け合いを絶賛する自称左翼の初老アメリカ人とか、翻訳家をやりながら大学でフェミニズムを講じる女性とかに話しかけられたことがある。店長は反米愛国左翼を自認する人で、九条の会のポスターなどが張ってある。祝日の天皇誕生日は絶対に休まずに営業するのだという。

 

それでやっと本題で、チェーンに押されつつもがんばるカンタベリーのインデペンデント系カフェを3つ紹介します。人間の習性で、チェーン店のように見慣れた外観だと入りやすく、だからどんどん広がるんだろうけど、ある程度住んでるとインデペンデントのほうを応援したくなってくる。

Brugate Coffee House

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大聖堂の入り口近くにあるとても小さいカフェ。こぎれいでゆるい感じで、音楽のチョイスがナイスだった。小さい店なのであんまり長居するとじきに気まずい雰囲気が流れる、気がする。でも若い店員もずっと友達としゃべってたりして気にしてないかもしれない。

Brunch

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人通りの一番多いところにある割にだいたい空いている、けどとても雰囲気はとてもナイスな2階建てカフェ。2階のラウンジではラジオが流れてて、なぜかいつもオールディーズをかける番組である。1階で注文すると2階まで届けてくれる。パニーニ食べたらおいしかった。落ち着く色目で店員も二階にはあんまり来ないので長居してしまう。

Brownlee & Ivy

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地下に公衆浴場の遺跡がある本屋Waterstone'sの最上階にある落ち着いたお店。お客の年齢層が明らかに高く、だいたい中年以上の白人である。価格は別に高いわけではないんだけど。本屋とつながってるだけあって、本とか新聞読んでる人が多い。パソコン出してカタカタしてても構わない感じなので(どこの店でも構わないけど)、物書きや論文読みしに行くようになった。大学の図書館よりも静かで落ち着く。

 

人口密度は東京よりずっと低いので、どのお店も余裕のある造りになってます。どこもWi-Fiはちゃんとあって、そこは日本のカフェも追随していただけるとありがたい。

パノプティコン、パンデミック、プロパガンダ

ケント大学の図書館は工事中である。全体の三分の一ほどが建設中で使えない。だから学生の全体数に比してスペースが足りていない。試験前ともなるとパソコンのある部屋は満席で、閲覧用の机にしてもあちこちうろうろしてやっと空きが見つかるほどである。工事中の部分が完成するのは2015年であり、僕が完成部を利用することはない。払った学費の一部があの工事に費やされているのだと想像すると腹立たしくもなる。ましてやEU外からの留学生の学費は通常の2倍以上するのだ。受ける教育内容と利用可能な教育施設が全く同じにも関わらず。これは人種が国籍に取って代わっただけの制度的差別であって、植民地経営をやめた現在も帝国主義の亡霊はこうして健在である。

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入学してすぐ気がついたんだけど、ケント大学の建物はみな異常に複雑に設計されている。まず外から見て全体像が把握できる角度がほとんどない。中に入ると全体像はますますわからず、似たような見かけの廊下が迷路のように続く。両端には開けていいのかどうかわからない扉が並び、学生の居住エリアもあるんだけどどこからどこまでがそのエリアなのかわからない。ある建物の食堂に行こうと思って、歩いて行って探したけどどうしてもたどり着かず諦めたこともある。違う階で似た造りになっている場所がいくつもあって、また同じところに来たのかと錯覚する。外の様子がすぐわかるような窓が廊下にはなくて、自分が建物のどこにいるのか直観的につかめない。どうしてこんな設計なのだ。大学の校舎が複雑なのはこのケント大学に限ったことではなくて、東大の本郷キャンパスに行ったらあまりに入り組んでいて面食らったのを覚えている。

 

統制と管理のシステムとしてのパノプティコン(一望監視)は有名だ。もっとも効率的な刑務所の設計としてベンサムが着想し、のちにフーコーが近代の権力作用の比喩として用いた。中央の一点から常に監視されることで囚人は規律正しい従順な身体を構成する。刑務所に限らず病院・学校・工場などでも同様の監視体制が効率をあげるために導入された。いずれ監視される者は監視する視点を内面化するようになり、個人の心理レベルで権力が作用する(というのがむかし授業で習ったこと)。

 

それでは高等教育機関である大学の異常に複雑な設計は何を意味するのか。中央集権的な権力への抵抗?あるいは権力の分散?もしくはカフカが戯画化するような官僚制だろうか。それとも象牙の塔であることを保証する仕組みだろうか。考えてみれば学問をやるとは複雑な建物の中で迷うようなもので、こっちがきっと面白い、と見当をつけて研究室の扉をたたき、いろいろ学んだことを踏まえて次はここに行ってみようかとまた別の研究室に行き、これを繰り返すうちに知識が増えて人脈が出来、最初は不可解な迷路に思われた学問の全体像がおぼろげながら立ち上がってくる。複雑な建物で迷うとは初学者の経験の見事な暗喩かもしれない。

 

大学の複雑な建物が気になるのは、その対極のような建物を目にするようになったからだ。僕が18歳で首都圏の私立大学に入学したとき、もともと学生会館があった場所に新しい校舎が建設中だった。学生会館と言えば、学生の自治によって運営される、サークルの部室のある建物であり、左翼活動の根城、タテカン製作所である(実際に見てないのでよく知らないけど)。アメリカ留学を終えて3年生になって帰ってくると新しい校舎が完成していたんだけど、それまでの大学の建物のイメージからかけ離れていて驚いた。外壁はほとんど全面ガラス張りで、中に入ると教室や自習室が廊下から丸見えである。建物の中央は一階から吹き抜けになっていて、エスカレーターまであり、エレベーターも壁が半透明。トイレは各階違うデザインで、大きな講演などが可能な最上階のホールは高級感のある木目仕様である。開放感、透明感、清潔感、適度な高級感が特徴だ。

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これは何かに似ている、何だっけ、と当時しばらく考えて、答えが出た。ショッピングモールだ。どこの国に行っても大きなショッピングモールは出来るだけ開放感を与えるように出来ている。中央には吹き抜けを作って遠くの店も見えるようにして、エスカレーターやエレベーターで移動する間も消費欲が冷めないように広告や店舗が視界に入るようにする。開放的な空間の中心にはカフェがあったりして、ここでも店舗がよく見える。バンコクや上海のショッピングモールに行ったとき、消費から目を背ける余地が無いようによく設計されていると感心した。他の大学と比較してないのでなんとも言えないが、志願者の確保にしのぎを削る私立大学にとって大学の建物を魅力的に見せるのはとても重要なことなのだろう。 身もふたもなく言えば、建物の構造からは「どうぞ教育を消費してください」というメッセージが放たれている。パノプティコンと違って、監視の視点があるべきところは空白の吹き抜けだが、隠れる場所は無く、早くガラス張りの教室にどれかに行き着かなければならない、と自然に思いこむ設計なのではないか。迷路のような建物を明確な目的無くうろうろして、知らない人や知識と偶然に出会い、自分が面白いと思うことを時間をかけて発見する、というややこしくめんどくさいプロセスは省かれる。

 

ケント大学の複雑な建物を見て、これも何かに似ている、何だっけ、ときのうしばらく考えて、答えが出た。ゲームの「バイオハザード」シリーズの屋敷や警察署である。「バイオハザード2」は中学校のころ好きで、クリア後もいろいろな要素が面白くてやり込んだ。

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製薬会社の「アンブレラ」が開発したゾンビウイルスが蔓延して壊滅状態となったラクーン・シティに2人の主人公がやってきて、ゾンビと戦いながら警察署を探検し、最終的にウイルスの研究施設に行き着いて自爆装置を起動させて脱出する、という話。警察署の建物はものすごく複雑で、ゾンビを倒す傍らで鍵を見つけたり暗号を読み解いて先に進んで行く。こんな複雑な建物が実際にあるかよ、と思っていたが、ケント大学の建物はこれと同じくらい意味不明に複雑である。 

建物の複雑さが喚起するのは、ドアを開けた先に何があるかわからないという感覚であり、このゲームの場合ゾンビやもっとヤバい化け物などにやられてしまう恐怖である。ゾンビそのものが生理的に気持ち悪くて怖いが、それにいつ出会うかわからないという要素が恐怖を増幅する。建物からいつになったら脱出できるかわからないという事実も不安をかきたてる。「タイラント」という化け物が壁を突き破って執拗に襲ってきたりして、逃げ場の無さが恐ろしい。

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「バイオハザード」は3までやって4以降はやっていないが、プレイ動画などを見ると複雑な建物を探検するという要素は次第に薄くなっているように見える。謎を明かしてはどんどん先に進んで行って、すでに通り過ぎたところに戻ることはあまり無さそうだ。建物の狭い空間よりもより開けた場所での対決が主流になっているようだ。5のラストなんかは、施設から飛行機でどっかの火山島まで飛んでって、とんでもない化け物になった敵ウェスカーと対決する。

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映画版の「バイオハザード」シリーズにも同じ傾向はあって、1は研究所の狭い空間が舞台であり、2では舞台は一つの街全体に拡大されるが、その街は隔離されていて出られないという感覚がつきまとう。しかし3になると人類がほとんどゾンビになったアメリカの荒野で話が始まって、メインのゾンビとの戦いは砂に埋もれたラスベガスの開けた空間で起こる。4では建物の屋上から飛行機で一気にゾンビの群れから逃げたりするし、5に至っては戦闘が起こるのは氷河の下に人工的に作られた街であり、架空のタイムズスクエアや渋谷を通り抜けながら話が進む。


Resident Evil All Trailers 1 2 3 4 5 (Full) - YouTube

非常に大雑把に捉えて、ゲームでも映画でも時間が下るにつれて主人公のモビリティが増し、移動の規模も大きくなっていく。舞台はどんどんグローバルになる。ゾンビの表象もそれに対応するように変化して、狭い建物をうろうろする姿から集団でダッシュで襲いかかってくる姿に変わる。建物を歩いていて出会ってしまう恐怖から、大群になって一気に襲われて彼らの一部になってしまう恐怖への移行がある。

 

大群のゾンビに一気に襲われる恐怖というのは、ゾンビになる原因が製薬会社の作ったウイルスであるという最初の設定から必然的に生まれたのだとも言える。いつからかわからないが、ゾンビ映画においてウイルス感染がゾンビ化の原因とされるようになった。こういう映画の喚起する恐怖は、国境を関係なくウイルス感染が広がる現象、つまりパンデミックへの恐怖と連動している。人が自由に行き来するグローバル化時代の負の側面としてパンデミックは最たるものだが、ゾンビ映画はこの種の恐怖に新たな市場を発見したのだろう。

 

なんか連想ゲームみたいになってきたが、それでさらに思い出したのがブラッド・ピット主演のゾンビ映画「World War Z」である。公開当時映画館で見て、この前イギリスに戻ってくる飛行機の中でも見た。


『ワールド・ウォー Z』予告編 - YouTube

ゾンビ化のパンデミックが広がる中で主人公ジェリーは国連からの要請を受け、世界を駆け回って対策法を探ることになる。知恵と経験と判断力でゾンビの群れからぎりぎりでまぬがれながら次々と飛行機に乗って各国に移動する姿は、ほとんどグローバル化時代のビジネスマンのカリカチュアである。文部科学省はスーパーグローバル人材の見本としてブラピ演じるジェリーを据えたらいいんじゃないか。

異常な早さで広がるパンデミックに組織的な対抗をし得ているのは北朝鮮とイスラエルだけだ。北朝鮮はウイルスが広がる前に国民全員の歯を強制的に抜くことで感染を防ぎ、イスラエルはユダヤの知恵によりパンデミックを奇跡的に予知し、エルサレムの周りに巨大な壁を作ることで秩序を維持している。だがそのエルサレムも騒ぎを起こしたアラブ人のせいでゾンビに陥落してしまう(アラブ人は間抜けで迷惑、という一つ目のプロパガンダ)。

エルサレムが陥落するときある少年だけゾンビに襲われなかったという事実から、病原菌を持った者をゾンビは襲わないのだとジェリーは推論し、ウイルスの研究所で自らの身体をもって実験する。推論は当たりで、研究所の壊れた自販機からマウンテン・デューを一本取ってぐいと飲んだあと、彼はダッシュするゾンビの群れを素通りする(マウンテン・デューはうまいよね、という二つ目のプロパガンダ、というか宣伝)。同じ要領で、病原菌を注射し次いで対応するワクチンを投与するという方法によって人類はゾンビの危険から逃れられるようになり、ジェリーは国連の保護下にある家族のもとに帰れてめでたし、となる。

 

しかし考えてみれば、ここに三つ目の大きなプロパガンダがあって、つまり製薬業界のそれである。病原菌とワクチンのセットがゾンビ化への最良の対抗策となるのだから、経済的な利得を得るのは製薬業界に他ならない。ジェリーが為したのは、表面的には家族と再会を果たすための最善の努力だったが、実際にやっているのは国連と製薬業界の橋渡しであった。製薬業界はこうして国家の制限を越えて国連とつながり、まさに人類全体から利益を吸い上げる。この大作映画が製薬業界のプロパガンダとして機能するよう狙って作られたかどうかは知らないが、実際に製薬業界が利益を得るための理想のシナリオをこの映画は確実に描いている。そして主人公の勇敢な行動を家族愛によって説明し結末にもそれを前景化することで、そのシナリオを提示しつつ隠蔽している。

 

架空のグローバルな製薬会社「アンブレラ」の悪徳を全面的に描いてエンターテイメントにした「バイオハザード」と、製薬業界が儲ける理想的なシステムを描きつつ隠蔽する「World War Z」はコインの裏表である。僕は後者のほうが怖い。

 

図書館が工事中というところから連想ゲームでここまで来た。論文書いてると思考が脱線したがる。

宗教と私

二十歳のとき禅僧になりたかった。

僕の母はカトリックで父が浄土真宗だったが、家庭の宗教というのは別に無かった。だから自分自身は特定の宗教と強い結びつきは無く育った。小学校六年生になると運動会で騎馬戦をやる。小学生の競技としてはもっとも派手でダイナミックなので盛り上がるんだけど、クラスの男子の数人は騎馬戦は練習にも本番にも参加しなかった。彼らの家庭はエホバの証人を信仰していて、格闘技に類するものには参加しないことになっていたのだ。事情はわからないがきっと自分が理解できないほど複雑なんであろう、と小学生の自分は思っていた。祖父の七回忌に参列したとき浄土宗の坊さんが講話をして、しつけというものはとにかく子どもが小さいうちに叩き込まないといかん、と祖父と関係ないこと言っていて全然有り難くなかった。小学生のころからボーイスカウトに入っていて、僕の団は母の通うカトリックの教会に付属していたので入団式なんかでは教会で司祭の祝福を受ける。でもスカウトの多くは別にカトリック信者ではなくて、単に教育熱心な家の子が多かった。振り返れば入団式ではみな「神と国とに誠を尽くし掟を守ります」と誓いを立て、国旗にいつも敬礼をしていたが、その意味を真剣に考える子どもはいなかったと思う。僕も何も考えずに敬礼して司祭の祝福を受けた。

 

宗教に主体的な興味を持ったのは鈴木大拙と宮沢賢治を読んだからだった。そのときアメリカの大学に留学していて、けっこうヒマな時間があったのでときどき図書館に行っては置いてある日本語の本を読んでいた。若年時特有の一過性の気持ちなのかもっと深い次元の全人格的な欲望なのかわからないが、なんだか苦しいような先が見えないような、でもその正体がつかめないような何を求めてるのかわかんないような、何かに助けてほしいような何に助けを求めたらいいかわかんないような、変な気分を漫然と抱えていた。たぶんその充足を大拙と賢治の言葉に求めようとしていた。

鈴木大拙の『日本的霊性』 での宗教意識の歴史的生成についての論理は明快だ。日本史において宗教意識の核たる「霊性」が顕現したのは鎌倉時代で、具体的には親鸞の思想であった。平安文化は情緒を中心に成り立っていて宗教的には未成熟だった。例えば万葉集は赤子を失くした母の嘆きのような情緒を記すに留まっている。高度で複雑な思想である仏教が日本民族に根ざした霊性を実現したのは、親鸞が大地との深いつながりを得たからだった。本が手元に無いので内田樹のブログから孫引きする。

「人間は大地において自然と人間との交錯を経験する。人間はその力を大地に加えて農産物の収穫に努める。大地は人間の力に応じてこれを助ける。人間の力に誠がなければ大地は協力せぬ。誠が深ければ深いだけ大地はこれを助ける。(・・・)大地は詐らぬ、欺かぬ、またごまかされぬ。」(鈴木大拙、『日本的霊性』、岩波文庫、1972年、44頁、強調は鈴木)
「それゆえ宗教は、親しく大地の上に起臥する人間-即ち農民の中から出るときに、最も真実性をもつ。」(45頁)

世阿弥の身体論 (内田樹の研究室)から

宗教は大地と深く連動してはじめて真実のものになる。だから大地とのつながりを持たない宗教の理はみな空疎だ。宗教のこうした次元を日本人は失ってはいけない、失っていたら回復しなくてはいけない。手元に無いので引用できないが、宗教は悟ってない者にわかるものではない、とも言い切っている。「宗教的直覚」に達していない者の宗教論は無意味だ、自ら悟りに達する意外に宗教を理解する方法は無い、と。

 

宮沢賢治は日蓮宗の熱狂的な信者だった。生前未発表の詩「雨ニモ負ケズ」が書かれた手帳には、余白に法華経がびっしり書かれていたという。浄土真宗を信仰する父親への改宗の説得と失敗、そこから生まれた反目は有名で、だから宗教詩人としての賢治の態度は浄土真宗に霊性の顕現を見る大拙の論と矛盾するように思われる。でも一方で農民の生活に芸術と宗教の理想を見ようとした思想は大拙の霊性の論理と通底するのではないか。『農民芸術概論綱要』にはこう書かれている。

職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される
そのとき恐らく人々はその生活を保証するだらう
創作止めば彼はふたたび土に起つ
ここには多くの解放された天才がある
個性の異る幾億の天才も併び立つべく斯て地面も天となる

……おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか……

こうした言葉は吸い寄せられるように求心的で、何というか読む人を鼓舞する独特の何かがある。宮沢賢治を読むとき以外に同じ感覚を持ったことが無い。例えば他の作品のこういう言葉にも。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなのさいわいのためならば僕のからだなんか百ぺんいてもかまわない。」

(『銀河鉄道の夜』)

『農民芸術概論綱要』以外にもマニフェスト的な文章を賢治はいくつか書いている。

  これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、にじや月あかりからもらつてきたのです。
 ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。

(『注文の多い料理店 序』)

いじめの陰湿さを描いた『猫の事務所』の草稿には最終稿で削られた次の一節がある。

釜猫はほんたうにかあいさうです。
それから三毛猫もほんたうにかあいさうです。
虎猫も気の毒です。
白猫も大へんあはれです。
事務長の黒猫もほんたうにかあいさうです。
立派な頭を有った獅子も実に気の毒です。
みんなみんなあはれです。かあいさうです。

かあいさう、かあいさう。

(『猫の事務所』草稿)

いじめられていた釜猫がかわいそうなのはもっともだ。いじめの加害者である他の猫も、いじめの衝動にとらわれてしまってかわいそうなのかもしれない。しかしいじめに加担していない事務長の黒猫や事務所自体の閉鎖を命ずる獅子までかわいそうなのは、もうふつうの感覚では説明がつかない。でも繰り返される「かあいさう、かあいさう」には祈りのような響きがあって、通常の理解の仕方を通り越して惹き付けられる。

 

話がどこに行くかわからないままここまで来てしまったが、二十歳の僕は、宗教的直覚を得て宗教がわかると宮沢賢治がはじめてわかる、という考えに取り憑かれていた。将来の夢を描いたことがただの一度もなかったけど、そのときは宮沢賢治の考えたことを明らかにする禅僧になる、と思っていた。しかし禅僧になってはおいしいものが好きなときに食べられなくなってしまう、というような俗的な気分もあって、まあそういう欲と格闘して乗り越えるのが悟りへの過程なのだが、他のものごとへの関心もあってその道をいまだ選択してはいない。

でもこのとき考えたことが今の研究関心に無関係ではないとも思っている。

太平洋戦争末期に書かれた『日本的霊性』は、公の軍国主義ナショナリズムを暗に批判する別のナショナリズムを提示する本である。たぶん敗戦を予期していた大拙は戦後の日本人の精神的支柱として「日本的霊性」を据えようとした。霊性は人類に普遍のものなので日本的もユダヤ的も本来はあったものではないが、日本の特定の歴史の中でのあらわれを大拙は確定しようとした。霊性の歴史的発現なぞ事後的な位置から見たときにだけ存在するように思われる虚構だと説得力を持って言うことはできる。それは日本に限らないナショナリズムに普遍的な仕掛けでもある。だいたい「日本史」という枠が虚構であるから。でも宗教意識はそのようにしかあらわれないし記述できない。そして大拙が断ずるのによれば、宗教意識は絶対にあるのだ。「歴史的虚構」と「宗教的直覚」がここで拮抗する。この拮抗をほどくにはどうすればいいのか、と頭の奥のほうで思っている。僕のナショナリズムへの関心の起源はこのへんにある。まだうまく言葉にできないけど。

 

宮沢賢治は国粋的な日蓮宗の団体「国柱会」の会員だった。もし、を歴史について言うことは本当は出来ないが、1933 年に亡くなった賢治がもしもさらに生き延びていたら、大政翼賛詩人になっていた、という可能性は指摘されている。例えばこの本など。 

原理主義とは何か―アメリカ、中東から日本まで (講談社現代新書)

原理主義とは何か―アメリカ、中東から日本まで (講談社現代新書)

 

求道や自己犠牲に誘うような美しい詩作は原理主義と複雑な関係を結んでいる。宮沢賢治の作品は言語芸術への魅了と抵抗を同時に感じさせる。

近衛兵と群衆、イーハトーブとロンドン

ロンドン中心部の現代美術のギャラリーで開かれた翻訳についてのシンポジウムに行ってきた。朝10時の開始に間に合うには7時にカンタベリーを出るコーチに乗らねばならず、寮からコーチ乗り場までのバスはそんな早くにはまだ出てないから、歩いて乗り場のある街まで下りていくことになる。そうすると部屋を出るのは6時であり、そのためには5時起きしなくてはいけなかった。だから夜にシンポジウムが終わったときはとても眠くて、帰り道はなんとなくこっちだろうと思った方向にふらふら歩き出したら逆に行っていた。方向転換してあらためて帰りのコーチが出るVictoria Coach Stationに向かったんだけど、そうするとバッキンガム宮殿前の広場を横切ることに気づく。金曜の夜の宮殿前広場では奇妙なことが起こっていた。まだ明るいのは日が長くなってるからで、時刻は20時半くらい。

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ちゃんとしたカメラが無くてiPhoneで撮影した写真だけど、要するにサイクリストたちが宮殿前広場を占拠している。特定の政治的主張をしているわけではなくて、とにかく自転車で走り回ったり、大音量で音楽をかけて踊ったり、マリファナ吸ったりしている。God Save the Queenを流しながらみんなで宮殿に向かって中指立てたりもしていて、柵のむこうにいる衛兵を挑発する者もいた。

 

雰囲気は祝祭的で人数もあまりに多いわけでもなかったからこれ以上エスカレートするようには思えなかったが、バッキンガム宮殿前広場に群衆が押し寄せる例は今までにもあって、去年の11月には緊縮財政に反対する大きなデモが起きている。このときは宮殿内に花火が打ち込まれたのだ。 警官隊との衝突があり3人の逮捕者が出た。

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Russell Brand joins Anonymous protesters as fireworks are fired at Buckingham Palace | Mail Online

宮殿前でしばらく見物してて感じたのが、柵のむこうにたたずむ近衛兵の頼りなさである。宮殿の衛兵交代式は言わずと知れたロンドン観光の目玉であり、僕は行ったことないけど場所取りが大変らしい。その衛兵は平時はじっとたたずみ、ときどき10メートルくらい横まで歩いていってまた戻る、を繰り返している。

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騒いでいる群衆がもっと不満を溜め込んだはるかに敵対的な集団で、もしも一斉に柵にはしごをかけて乱入してきたら彼はどうするだろうか。立派な銃を肩にかけているが、撃つのか。そもそも、真っ赤な目立つ服を着て、どう考えても前が見えず動きにくい変な長い帽子をかぶったあの衛兵はかなり非戦闘的だ。どうせならもっとたくさん配置すればいいのにと思うが、あのでかい宮殿を形式のうえでも守っている衛兵が平時はたった2人である。まあ見えないところにもっとたくさんいるのだろうけど、と思っていたら、よく見ると柵の向こう側の見えるところにいた。ただし赤くてかわいい制服を着た近衛兵ではなくて、もっとでかい銃を抱えて実戦的なマジ武装をした兵士たちである。写真は撮れなかったが、そのまま戦場にいてもおかしくないような雰囲気で、彼らは近衛兵のように決まった動きをしなくて良いらしく、ときどき柵の際まで行って威嚇していた。この2種類の衛兵の奇妙な同居はなんだろうか。

 

近衛兵の見かけ上の非力さは、たぶん帝国支配の強固さを逆説的に象徴していたのではないか。植民地の経営と収奪が安定しているので、宮殿を守る兵士は限りなく形式的で儀礼的なのが良い、ナチスの全体主義的な軍事パレードと違って、優美な衛兵の姿が帝国の力と偉大さをあらわすのだ、という感じ。でも一方で、現代のロンドンでは実際にデモや暴動が起きていて、それに対処するには威圧感を持った強い兵士や警官が必要になる。しかしそれを配置した結果、シンボルとしての近衛兵のバカらしさが露見している、とも言える。帝国の偉大さを象徴していた近衛兵は現代のロンドンで無力なのだ。それは帝国の歴史を正しく点検せずその栄光にしがみつくある種の国民感情がバカげていることも暗に知らせている。

 

宮沢賢治の「注文の多い料理店」で山猫に食べられそうになる2人の猟師は、「すつかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで」いる。「注文の多い料理店」は絵本や表紙絵や映画など無数にビジュアル化されているが、猟師の格好をまさに近衛兵そのものとして描いている場合がたくさんある。

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文明をまとった猟師たちに対して山猫が寓意的にあらわすのは、森、動物、原住民、被植民者、などである。山猫は文明の詐術を逆手に取り、猟師が自ら装備を解くよう仕向ける。注文の多さを格式の高さと勘違いした猟師たちは危うく山猫に食べられそうになるが、連れてきた犬に助けられ命拾いをして帝国の首都東京に無事帰る。でも与えられた恐怖の痕跡は2人から消えることはない。

さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。

 「ドリームランドとしての日本岩手県」であるイーハトーブはイギリスの植民地ではないから、ここで「イギリスの兵隊」は寓意的で、 文明と帝国による収奪と支配一般をあらわしているのだろう。侵入と支配を受けた動物を含む原住民たちはすでに文明の論理を学んでいて、その上で文明人をだまして復讐を果たそうとする。それはイギリスの兵隊の服を自発的に脱がせるという象徴的な行為を通して為される。宮沢賢治の作品群が植民地的環境から生成したクレオール文学だというのは、西成彦の『森のゲリラ 宮澤賢治』から学んだことであるが、昨夜のバッキンガム宮殿の近衛兵と「注文の多い料理店」の「イギリスの兵隊」が自分の頭の中で重なったのだ。あの制服と兵士を通して帝国の凋落や文明への復讐が表現されている。

 

Paul GilroyはAfter Empire: Melancholia or Convivial Culture? (2004, 未訳)の中で、多文化・多人種の国になったイギリスはいまだ帝国主義の恥ずべき痛ましい歴史と罪悪を直視することができず、「ポスト帝国主義のメランコリー」に陥っていると指摘している。他にも世界のあちこちで戦争してきたにもかかわらず、ナショナリズムが喚起されるときのシニフィアンはいつもナチスとの戦いだ。植民地をめぐる戦争、フォークランド紛争、アフガニスタン紛争などは過去の栄光として美化することもできず、抑圧されて国民の記憶に組み入れられない。それが現代の人種差別の温床にもなっている。

Once the history of the Empire became a source of discomfort, shame, and perplexity, its complexities and ambiguities were readily set aside. Rather than work through those feelings, that unsettleing history was diminished, denied, and then, if possible, actively forgotten. The resulting silence feeds an additional catastrophe: the error of imagining that postcolonial people are only unwanted alien intruders without any substantive historical, political, or cultural connections to the collective life of their fellow subjects. (After Empire, p.98)

だいたい字義通りに訳すと、

ひとたび帝国の歴史が不快・恥辱・困惑の源となると、その複雑さや多義性はただちに脇に追いやられた。そうした感情が克服される代わりに、あの不穏な歴史は縮小され、否定され、そして可能な場合には積極的に忘却された。その黙殺の結果、さらなる惨状が生じたのだ。すなわち、旧植民地に起源を持つ人々は、彼らの同胞民[ここではイギリス国民]の集合的な生とは実質上の歴史的・政治的・文化的つながりを何も持たない、望ましくない異質な侵入者にすぎないという誤った想像である。(拙訳)

要するに、現在のイギリスはナチスとの戦いと勝利という疑いのない栄光によってのみネーションとしての誇りを保っていて、そこでは純粋な"whiteness"が暗に想定され病的に生き延びている。植民地主義の結果イギリスに住んでいる移民の2世3世の存在にもかかわらず、植民地主義に関する歴史や文化を組み入れた国民文化は未だ満足に描かれていない。しかし現れつつあるのが"convivial culture"(お祭り気分の文化)とギルロイが呼ぶ新しい都市文化であって、例としてヒップホップ被れの白人が真面目な人にインタビューする「Da Ali G Show」というコメディ番組などが論じられている。昨夜見たサイクリストの群衆が「お祭り気分の文化」なのかはわからないけど、こういう騒ぎとかデモはこれからも起こっていくのだろう。

 

ちなみに「Da Ali G Show」はYoutubeにたくさんアップされている。僕が観た中で最もおバカな映画『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』のSacha Baron Cohenがやっていたやつだ。


Ali G - the police - YouTube