カンタベリーから

文学研究でイギリスに大学院留学をしている20代男性の日記です。ポストコロニアル文学・理論、ナショナリズム理論、グローバル化時代のネーション、コスモポリタニズム、現代日本文学、などに関心があります。ですがブログは学問内容とあまり関係ありません。猫好き。料理をよくします。

宗教と私

二十歳のとき禅僧になりたかった。

僕の母はカトリックで父が浄土真宗だったが、家庭の宗教というのは別に無かった。だから自分自身は特定の宗教と強い結びつきは無く育った。小学校六年生になると運動会で騎馬戦をやる。小学生の競技としてはもっとも派手でダイナミックなので盛り上がるんだけど、クラスの男子の数人は騎馬戦は練習にも本番にも参加しなかった。彼らの家庭はエホバの証人を信仰していて、格闘技に類するものには参加しないことになっていたのだ。事情はわからないがきっと自分が理解できないほど複雑なんであろう、と小学生の自分は思っていた。祖父の七回忌に参列したとき浄土宗の坊さんが講話をして、しつけというものはとにかく子どもが小さいうちに叩き込まないといかん、と祖父と関係ないこと言っていて全然有り難くなかった。小学生のころからボーイスカウトに入っていて、僕の団は母の通うカトリックの教会に付属していたので入団式なんかでは教会で司祭の祝福を受ける。でもスカウトの多くは別にカトリック信者ではなくて、単に教育熱心な家の子が多かった。振り返れば入団式ではみな「神と国とに誠を尽くし掟を守ります」と誓いを立て、国旗にいつも敬礼をしていたが、その意味を真剣に考える子どもはいなかったと思う。僕も何も考えずに敬礼して司祭の祝福を受けた。

 

宗教に主体的な興味を持ったのは鈴木大拙と宮沢賢治を読んだからだった。そのときアメリカの大学に留学していて、けっこうヒマな時間があったのでときどき図書館に行っては置いてある日本語の本を読んでいた。若年時特有の一過性の気持ちなのかもっと深い次元の全人格的な欲望なのかわからないが、なんだか苦しいような先が見えないような、でもその正体がつかめないような何を求めてるのかわかんないような、何かに助けてほしいような何に助けを求めたらいいかわかんないような、変な気分を漫然と抱えていた。たぶんその充足を大拙と賢治の言葉に求めようとしていた。

鈴木大拙の『日本的霊性』 での宗教意識の歴史的生成についての論理は明快だ。日本史において宗教意識の核たる「霊性」が顕現したのは鎌倉時代で、具体的には親鸞の思想であった。平安文化は情緒を中心に成り立っていて宗教的には未成熟だった。例えば万葉集は赤子を失くした母の嘆きのような情緒を記すに留まっている。高度で複雑な思想である仏教が日本民族に根ざした霊性を実現したのは、親鸞が大地との深いつながりを得たからだった。本が手元に無いので内田樹のブログから孫引きする。

「人間は大地において自然と人間との交錯を経験する。人間はその力を大地に加えて農産物の収穫に努める。大地は人間の力に応じてこれを助ける。人間の力に誠がなければ大地は協力せぬ。誠が深ければ深いだけ大地はこれを助ける。(・・・)大地は詐らぬ、欺かぬ、またごまかされぬ。」(鈴木大拙、『日本的霊性』、岩波文庫、1972年、44頁、強調は鈴木)
「それゆえ宗教は、親しく大地の上に起臥する人間-即ち農民の中から出るときに、最も真実性をもつ。」(45頁)

世阿弥の身体論 (内田樹の研究室)から

宗教は大地と深く連動してはじめて真実のものになる。だから大地とのつながりを持たない宗教の理はみな空疎だ。宗教のこうした次元を日本人は失ってはいけない、失っていたら回復しなくてはいけない。手元に無いので引用できないが、宗教は悟ってない者にわかるものではない、とも言い切っている。「宗教的直覚」に達していない者の宗教論は無意味だ、自ら悟りに達する意外に宗教を理解する方法は無い、と。

 

宮沢賢治は日蓮宗の熱狂的な信者だった。生前未発表の詩「雨ニモ負ケズ」が書かれた手帳には、余白に法華経がびっしり書かれていたという。浄土真宗を信仰する父親への改宗の説得と失敗、そこから生まれた反目は有名で、だから宗教詩人としての賢治の態度は浄土真宗に霊性の顕現を見る大拙の論と矛盾するように思われる。でも一方で農民の生活に芸術と宗教の理想を見ようとした思想は大拙の霊性の論理と通底するのではないか。『農民芸術概論綱要』にはこう書かれている。

職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される
そのとき恐らく人々はその生活を保証するだらう
創作止めば彼はふたたび土に起つ
ここには多くの解放された天才がある
個性の異る幾億の天才も併び立つべく斯て地面も天となる

……おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか……

こうした言葉は吸い寄せられるように求心的で、何というか読む人を鼓舞する独特の何かがある。宮沢賢治を読むとき以外に同じ感覚を持ったことが無い。例えば他の作品のこういう言葉にも。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなのさいわいのためならば僕のからだなんか百ぺんいてもかまわない。」

(『銀河鉄道の夜』)

『農民芸術概論綱要』以外にもマニフェスト的な文章を賢治はいくつか書いている。

  これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、にじや月あかりからもらつてきたのです。
 ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。

(『注文の多い料理店 序』)

いじめの陰湿さを描いた『猫の事務所』の草稿には最終稿で削られた次の一節がある。

釜猫はほんたうにかあいさうです。
それから三毛猫もほんたうにかあいさうです。
虎猫も気の毒です。
白猫も大へんあはれです。
事務長の黒猫もほんたうにかあいさうです。
立派な頭を有った獅子も実に気の毒です。
みんなみんなあはれです。かあいさうです。

かあいさう、かあいさう。

(『猫の事務所』草稿)

いじめられていた釜猫がかわいそうなのはもっともだ。いじめの加害者である他の猫も、いじめの衝動にとらわれてしまってかわいそうなのかもしれない。しかしいじめに加担していない事務長の黒猫や事務所自体の閉鎖を命ずる獅子までかわいそうなのは、もうふつうの感覚では説明がつかない。でも繰り返される「かあいさう、かあいさう」には祈りのような響きがあって、通常の理解の仕方を通り越して惹き付けられる。

 

話がどこに行くかわからないままここまで来てしまったが、二十歳の僕は、宗教的直覚を得て宗教がわかると宮沢賢治がはじめてわかる、という考えに取り憑かれていた。将来の夢を描いたことがただの一度もなかったけど、そのときは宮沢賢治の考えたことを明らかにする禅僧になる、と思っていた。しかし禅僧になってはおいしいものが好きなときに食べられなくなってしまう、というような俗的な気分もあって、まあそういう欲と格闘して乗り越えるのが悟りへの過程なのだが、他のものごとへの関心もあってその道をいまだ選択してはいない。

でもこのとき考えたことが今の研究関心に無関係ではないとも思っている。

太平洋戦争末期に書かれた『日本的霊性』は、公の軍国主義ナショナリズムを暗に批判する別のナショナリズムを提示する本である。たぶん敗戦を予期していた大拙は戦後の日本人の精神的支柱として「日本的霊性」を据えようとした。霊性は人類に普遍のものなので日本的もユダヤ的も本来はあったものではないが、日本の特定の歴史の中でのあらわれを大拙は確定しようとした。霊性の歴史的発現なぞ事後的な位置から見たときにだけ存在するように思われる虚構だと説得力を持って言うことはできる。それは日本に限らないナショナリズムに普遍的な仕掛けでもある。だいたい「日本史」という枠が虚構であるから。でも宗教意識はそのようにしかあらわれないし記述できない。そして大拙が断ずるのによれば、宗教意識は絶対にあるのだ。「歴史的虚構」と「宗教的直覚」がここで拮抗する。この拮抗をほどくにはどうすればいいのか、と頭の奥のほうで思っている。僕のナショナリズムへの関心の起源はこのへんにある。まだうまく言葉にできないけど。

 

宮沢賢治は国粋的な日蓮宗の団体「国柱会」の会員だった。もし、を歴史について言うことは本当は出来ないが、1933 年に亡くなった賢治がもしもさらに生き延びていたら、大政翼賛詩人になっていた、という可能性は指摘されている。例えばこの本など。 

原理主義とは何か―アメリカ、中東から日本まで (講談社現代新書)

原理主義とは何か―アメリカ、中東から日本まで (講談社現代新書)

 

求道や自己犠牲に誘うような美しい詩作は原理主義と複雑な関係を結んでいる。宮沢賢治の作品は言語芸術への魅了と抵抗を同時に感じさせる。