カンタベリーから

文学研究でイギリスに大学院留学をしている20代男性の日記です。ポストコロニアル文学・理論、ナショナリズム理論、グローバル化時代のネーション、コスモポリタニズム、現代日本文学、などに関心があります。ですがブログは学問内容とあまり関係ありません。猫好き。料理をよくします。

死と睡眠

イギリスの田舎で目につくのは葬儀屋の多さである。あの店は食料店でもないし不動産屋でもないし何だろう、とぼんやり眺めているとFuneral Serviceと書いてある。今日はバスに乗ってケントの東端の海辺町Margateに行ってきたんだけど、途中で生協が運営する葬儀屋が目に入り、正装した老紳士が先導する葬式の車列も見かけた。高齢化の度合いは日本の方が著しく、人口密度も高いのだから、葬式の件数は日本がずっと多いはずだ。でも何故か東京で生活していて他人の葬式を身近に感じることはほとんどないし、最寄りの葬儀屋はどこか、と訪ねられても一件も思いつかない。そういえば高校の同級生に葬儀屋の息子がいたが、とても明るくていいやつだった。

 

日本では葬儀屋は昔の質屋みたいに通りを入ったところにこっそりあるのかもしれない。あるいはそもそも外からわかるような店舗を構える必要がないのかもしれない。僕がまともに参加したことがあるのはじいちゃんの葬式だけで、当時身内の死をどう感じたらいいのかもわからなかった僕は、葬式の日は葬儀屋の手際の良さに見とれていた。滞りない式の進行から火葬場への移動、火葬場での遺族への説明と誘導、火葬後の遺骨の解説、など全てが完璧だった。式の後に参列者で食事をするときに何回かしか会ったことない親戚のおじさんが献杯のあいさつをしたんだけど、間違えてか言い方を知らずか「乾杯を」と言いそうになり、葬儀屋の仕切りの人がサッと行って「献杯です」と耳打ちして修正していて、プロの所作であった。まだ若くて30代前半ぐらいに見えたが十分な経験がすでにあるのだろうと思った。

 

むかし下町のほうの映画館でバイトしていたとき、納棺師になる人を描いた『おくりびと』の上映があった。アカデミー賞外国語映画賞を受賞した作品。

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封切りの週末にシフトを入れてたんだけど、ものすごい数のお年寄りが押し寄せてきて整理が大変でカオス状態だった。うちの館での動員数は『パイレーツ・オブ・カリビアン』を優に凌いでいたと思う。全席自由席システムの映画館なので、お客さんがたくさん来た場合は館内に列を作り、それでも入りきらなければ館外にまで列を伸ばすことになっている。しかし中には90歳を越えてそうなおばあさんもいたりして、お年寄りを長時間立って待たせるわけにもいかず、個別に椅子を用意したり狭い館内でとにかくむちゃくちゃ大変だった。当たり前なのかもしれないが、年取ると多くの人が死に関心が向くのだろう。

 

順調に生きていけば僕の死は半世紀くらいは先だ。でも実際いつまで生きるのかは毎日の過ごし方にかかっている。生活習慣とかストレスとか病気の早期発見とか気をつけることはいろいろあるが、一番肝心なのは睡眠である。むかし僕の反り腰を一発で治してくれた怪しい整体師の先生に、徹夜なんてしたら寿命縮まるからやめなさい、と言われて妙に納得した覚えがある。僕は睡眠を削るとすぐに身体と精神に影響が出る性質で、具体的にはイライラしたり判断力が落ちたり、ときには動悸がしたりする。朝まで飲むとかは20代前半までは楽しくできていたけど、今は苦行でしかない。イギリスに来て身につけた能力のひとつは、切羽詰まった課題がある場合には、ベッドに入り必要に応じて睡眠しながら継続的に課題をやる、というものである。

 

ロシア語と日本語の通訳者で作家の米原万里は、56歳のとき癌で亡くなっている。あらゆる分野の国際会議で同時通訳をこなし、その都度違った分野を俯瞰的に把握するために数十冊の本を読んだという彼女の読書量は、そこらの大学院生とは比べものにならなかっただろう。そして、きっと無数の徹夜を重ねていただろう。患った病気と睡眠不足に因果関係があるのかはわからないけど、すさまじい仕事量の人が早死にしてしまうケースはよく聞く。手塚治虫も59歳のとき癌で亡くなっている。癌だと告知されていなかった彼は、死の間際にも昏睡から意識が覚めるたびに鉛筆を握って進行中の仕事を進めていたらしい。最後の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」だったという。

 

一方、現在79歳のムツゴロウこと畑正憲さんは徹夜のプロのような人で、むかし読んだエッセイでは、学習映画を作る仕事をしているとき1週間全く寝ずに作業してたら、手からいい感じの脂が出てきて調子良くなるんだ、とか書いていた。でもたぶんそういうのは特例で、長生きしたい人は基本的に徹夜しないほうがいい。

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それで、そういうことを考えたのは前に「睡眠のチカラ」という水木しげる先生の小編を読んでからだった。言ってることは単純だけど、生者の世界の狂気と死の向こう側の両方を表現領域にしてきた水木先生の主張には言い知れない重みがある。

 

水木しげる「睡眠のチカラ」

http://ameblo.jp/midorino02/image-11839450933-12927295860.html

 

現在92歳の水木先生は今も新作を描き続けている。

kawaii

こないだ日本に戻ったとき吉祥寺に行ったら、kawaiiファッションの白人女性の集団がいてびっくりした。参考にイメージをあげるとこんな感じ。

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http://www.rokkyuu.com/fashion/hyper-japan-fashion-show-2/より転載)

 

10年前から吉祥寺を日常的にうろうろしているけど、kawaiiファッションの白人女性を見たのは初めてだった。原宿とか行くとビジュアル系やギャル男系などいろんな服来た人がいて外国からの観光客もたくさんいて雰囲気がカオスなのは前からだけど、本当に吉祥寺では初めて。三鷹の森ジブリ美術館ができたのもあって、たぶん何かのガイドブックに東京郊外の観光スポットとして吉祥寺が載ったんだろうと思う。渋谷から電車で一本だし、これから外国からの観光客がどんどん増えるだろうし、観光客の入りやすいような店も増えてくだろう。3年前くらいにホープ軒でいつも通り中華そば食べてたら、あの日本人男性ばかりのマッチョな雰囲気の店で、となりに老年の白人女性が座って身振りで店員とコミュニケーションしてて、そのときもちょっと驚いた。

 

それでイギリス戻ってきて、先週ロンドンに髪切りにいった。Picaddilly CircusからTottennam Court Roadまで歩こうと思ってごちゃごちゃした中華街を抜けてたら、そこにもkawaiiファッションの白人女性たちがいた。しかも集団は一つじゃなくていっぱいいる。何してるわけでもなさそうだけど、レストランを物色してるような感じ。kawaiiファッションでロンドンの中華街と吉祥寺がつながったような気がして感動してたら、この動画を思い出した。


Avril Lavigne - Hello Kitty - YouTube

初めて見たときは最初の5秒で耐えきれず消してしまった。5回ぐらい試みた末に心の準備が出来て観れるようになった。今あらためて観るとやはり数回は目を背けないと観れない。

 

Hello Kittyはイギリスでもよく見かける。あのキャラクターの大きな特徴は表情が無いことだ。笑ってはいないが悲しい顔もしていない。だから持ち主はどんな感情のときでも意識を投影して親密さを感じることが出来る。そういう解説をむかしどっかで読んだ。同じくサンリオのキャラクターである「けろけろけろっぴ」の相対的劣勢は、その表情に大きな原因があるのではないか。

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この動画についてまともなことを言うと、これは日本人女性の群れを無表情なHello Kittyになぞらえて脱人間化=商品化して、かつ白人の有名なアイドルを中心に置くことで白人が消費しやすい対象にする現代版オリエンタリズムである。ラストサムライとか47 Roninはサムライの魂みたいなものを実体化して商品化してるが、現代の日本人女性も同様に商品化されるに至った。

 

で、結局実感したのはkawaii系のファッションや身振りとかその文化全体というのはけっこうグローバルに市場規模があって、アヴリル・ラヴィーンがこういう曲つくってわざわざ日本来てPV作るってことは、それだけ売れて儲かる見込みがたってるはず。もしくは、邪推にすぎないが、クールジャパン政策を進める日本政府からお金が出たかもしれない。

4世紀の銭湯

ブログとFacebookとのバランスがとりづらくて、そもそもブログってだれにむかって書くんだっけ、とか根本的な疑問を抱えたまま月日は流れて、前回のエントリーから220日経っていました。このブログはまだ2回しか書いてないです。

 

とにかくイギリス南部の平坦な日常を生きています。こないだ春休みを3週間ほど日本で過ごして、また帰ってきていよいよ修士論文執筆プロセスに入りました。メールの最後に締めの言葉も入れないせっかちで単刀直入な教授の指導を緊張しながら受けてます。前回はうどんの画像だったけど、料理が相変わらず趣味で、最近はあったかくなってきたのでサラダに凝ってます。こないだはそうめんとサラダでさっぱりなブランチでした。サラダはトマトとアボカドとキュウリとモッツァレラチーズをオリーブオイルとハーブソルトで和えてスモークサーモンを乗っけたちょっと豪華なやつ。

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それでタイトルの話ですが、カンタベリーにはチェーンの本屋さんWaterstonesが2軒あって、人はあんまりいないし陳列も素敵だしソファあるし、行くと落ち着きます。2軒のうち1軒の地下にガラス張りになってるエリアがあって、最初は全然注意を向けてなかったんだけど、これがローマ時代の遺跡だった。

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何の遺跡かは写真からはわからないんだけど、これ公衆浴場です。上にイラストと解説があります。

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ローマ時代・紀元300年のお風呂の遺跡だそうです。むかしはここでローマ人が風呂に浸かってたんですね。そこがいま本屋の地階。

 

カンタベリーと言えばとにかく大聖堂です。大聖堂に行かないでカンタベリーを語るなかれ、大聖堂に行かずこの地に住んでるのは東京に住んでて東京タワーに行かないようなもんで、そんな人がいるはずないどころかそういう話はよくあって、現に僕は東京生まれ東京育ちだけど東京タワーに行ったことがない。教授との雑談によれば3年間ここでPhDやってる学生で、タダで入れるのに大聖堂行ったことない人がいる、ということは行ったことない人たちは潜在的にかなりいるのではないか、ていうのは話がそれてて、とにかくどでんとそびえております大聖堂。いろいろ歴史はあってよく知らないけど、7世紀くらいに起源があって現在の建物は1000年近く前に建てられたものだそう。その後だれかの離婚問題で英国国教会が設立されてからその総本山ってことで、威厳と風格を放っています。大聖堂より高い建物はこの街にありません。

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大聖堂は実は1ヶ月前にはじめて行って、礼拝をする荘厳な空間は世俗的な歴史とは隔たった時間の流れを感じさせ、ステンドグラスとか綺麗だし、細かい説明を読んで歴史を感じる気にもならないけどいろいろ由緒ある何かがいっぱいあって、まあ鎌倉の建長寺に中学生のとき行ったような感覚で、古いなあ、大したもんだ、というぐらいの感想を持ちました。

 

それで話は変わって、僕は大学内の寮に住んでるんだけど、ここにはバスタブがなくてシャワーだけです。これがとてもつらい。冬は本当にきつかった。バケツを買って足湯をやって白湯を飲みまくり冬を越しました。この冬は250年ぶりの嵐で毎晩嵐の音で眠れないほど。人生最悪の冬だったと言っても過言ではない。それで公衆浴場です。お風呂好きの典型的な平たい顔族の私としては、公衆浴場は残してほしかった。アウグスティヌス氏が7世紀に修道院を作ったのはそれはそれで立派だったのかもしれないが、ローマ時代の大いなる遺産たるお風呂を保存しようという動きはなかったのか。みんなでお風呂入ったら楽しいじゃないか、単純に。

大聖堂のほうを由緒正しき遺跡にしていただいて、代わりにお風呂再建、というのがありえたかもしれないもうひとつの歴史の流れであり、それを強く願っている人がどこかにいても全然おかしくないと思うんです。

 

次回はイギリス南部の海辺のリゾート紀行を書こう。

うどん

イギリスの人参は細く

ナスは丸く

ネギは太く

じゃがいもはバカみたいにごろごろあり

大根は無く

同居人は一日に冷凍食品とちょびっとだけ野菜を食べる

そういうものに

私は別になりたくない

 

と詩を吟じながら豚汁うどんを作りました

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なんか無性に食べたくなるのってうどんなんです。消化にいいしショウガたくさん入れて身体もあったまるし、これからの寒い季節にはぴったしです。カンタベリーは1週間くらい前から突然季節が変わって冬のようになってしまいました。そのうち冬服買い足そう。

ブログ開始

イギリスに初めて来てから2週間が経ちました。時差ぼけも完全に取れて落ち着いて来たので、今までやったことのないブログを始めてみようと思います。留学に至るまでのこと、いま研究していること、授業で起こったこと、イギリスの日常の楽しいことなんかを書いてこうと思います。

作家でもエッセイストでもないくせに何かを書くからには面白く書かねばならないという強迫観念があるのですが、そういう意識はできるだけ振り払って淡々と書きたいなと考えています。日本人としてとか留学生としてとかではなくて、今の自分として思ったことを日々の整理として書いていきます。